mashiro ADHDと鬱と拒食症 No.6

本日、二度目の更新です。

 

昨日、内縁の主人に私が記録していた体重を教えました。

 

2019年

1月1日(元日) 52,6kg

1月8日) 51,2kg

1月15日 50,4kg

1月22日 49,6kg

1月28日 49,3kg

28日間で、マイナス3,3kgだったのですが、2月に入り痩せるスピードが早くなりました。

 

1月28日に入院をし、任意入院だったので2月12日に退院しました。

 

2月からの体重は

2月2日 49,6kg

2月9日 47,1kg

2月16日 46,5kg

2月23日 45,4kg

2月28日 44,7kg でした。

 

1月は、マイナス3,3kgだったのが2月は現時点で5kg落ちていました。

 

主治医の先生からは、40kg以下になると再び入院を言われています。(または、病院の個室が空き次第)

 

日に日に痩せていく私を、前の主人はどう思っているのか分かりません。

 

姉や娘や親友には、LINEのみでしか伝えておらずにいます。

 

ですが、心配かけまいと実際の体重より多く前の主人にも姉、娘、親友には伝えています。

 

前の主人とは、内縁なので1週間または2週間に1度くらいしか会わなかったのですが、最近一緒にいると前の主人の甘えの部分が出てきたので、自分が借りているマンションに昨日戻りました。

 

今日は、一度目の更新から二度目の更新の間に色々あったので今日のブログはここまでにします。

 

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

mashiro ADHDと鬱と拒食症 No.5

こんにちは。

 

自分の心の整理のために始めた日記は何度目を書いているのか、分からなくなってしまいました。すみません。今見たら、No.5でした。

 

今日は、すごく晴れていますがカーテンを閉めてブログを書いています。

 

最近は、内縁の主人の家にいましたが今日は自分が借りているマンションに宅配が届くので自宅に戻りました。

 

一昨日までは、精神が比較的安定していたのですが、とある事がきっかけで涙が止まらなくなりました。母の事です。

 

その時は、電話相談の対応をしてくださった方の言葉に救われました。

その後、訪問看護さんからも電話があり事情を伝えると泣いていいよ、と言ってくれました。

知らない人からしたら、なんで持ってるんだろうと不思議に思われる物ですが私にとっては母との思い出の物なので訪問看護さんは捨てなくていいよ、と言ってくれました。

 

翌日(2月27日 水曜日)に週1度の精神科診察へタクシーで行ったのですが、受付機の前で頭がぐらぐらして座りこんでしまい、意識が遠のいていく寸前で看護師さんが車椅子で処置室まで連れて行ってくださいました。

 

その処置室で、主治医の先生との診察がありました。

 

主治医からは、個室が空き次第 即入院と言われました。

 

私は対人恐怖症もあるので、個室でないと食事などができない事を主治医の先生は理解してくれています。

 

父に会えない日々が続いている中で、体重はどんどん落ちていく一方で、主治医からは、痩せていくのも時間の問題だと言われました。

 

主治医の先生からは、任意で体重測定をするように言われているのでここ2週間の体重を1日ずつ、ブログにのみに書きます。

 

2月14日(木曜日) 47,0kg

2月15日(金曜日) 46,5kg

2月16日(土曜日) 46,5kg

2月17日(日曜日) 46,4kg

2月18日(月曜日) 46,0kg

2月19日(火曜日) 45,1kg

2月20日(水曜日) 45,2kg

2月21日(木曜日) 45,8kg

2月22日(金曜日) 45,4kg

2月23日(土曜日) 45,4kg

2月24日(日曜日) 45,8kg

2月25日(月曜日) 45,6kg

2月26日(火曜日) 45,0kg

2月27日(水曜日) 45,0kg

2月28日(木曜日) 44,7kg

でした。

 

主治医からは、甲状腺異常だったらたくさん食べても痩せるけど私の場合はほとんど食べないので痩せていってるとの事で摂食障害の方が強いと言われました。

 

No.6に続きます。

 

mashiro ADHDと鬱と拒食症 No.3

こんにちは。


今日は低血糖からくる集中力の低下と、激しい落ち込みでほとんど食べ物を口にできずにいます。


私が、摂食障害(拒食症)と診断されて今日で17日が経過しました。

ここでしか公開できないので、私の体重減少をどう思うか客観視したいので記録してある体重を書きたいと思います。

H30,8,3 64kg
H30,8,17 63,5kg
H30,8,24 63kg
H30,9,6 62,8kg
H30,9,18 61,8kg
H30,9,30 60,4kg
H30,10,10 59,7kg
H30,10,22 58,5kg
H30,11,7 58,6kg
H30,11,17 56,3kg
H30,11,30 56,2kg
H30,12,10 54,2kg
H30,12,21 53,8kg
H30,12,31 52,6kg

H31,1,10 51,2kg
H31,1,20 49,7kg
H31,1,28 49,3kg

H31,2,7 47,8kg
H31,2,14 47kg
H31,2,24 45,8kg

重度の低血糖や鉄分不足と言われていますが、何とかお薬やお粥などを食べています。

No.4に続く。

mashiro ADHDと鬱と拒食症 No.2

mashiroのブログを読んでくださり、ありがとうございます。

前回の続きになります。

昨年の8月に父が倒れてから、現在で約半年が経過し(半年間のお話しはまた後日)しました。



私は現在36歳ですが、小学6年の時にいじめに合ってから中学3年間は不登校でした。

母は、姉と私を差別し姉だけを連れて私一人置いての家出を繰り返していました。

私が「お母さん」と呼ぶと
「あんたのお母さんやないから、呼ぶな!」といつも言われて育ちました。

そんな私ですが、小学6年の時にいじめに合って中学3年間と16歳の秋あたりまでは引きこもりでした。

ですが、そんな時に友人を通して彼氏ができました。

しかし、ひと夏の恋愛で終わりました。

そんな辛さからか、ふとお風呂に入っていた時にカミソリが目に入り腕を切ってみたところ、心が落ち着いたのです。

後にそれがリストカットと言うものだと知りました。

その後、失恋の辛さからリストカットを繰り返しましたが、ポケベルから携帯電話に変わっていく時代で、友人が先に携帯電話を持ち、うらやましいと思い引きこもりからどうにか抜け出しました。

とあるレストランのウェートレスの募集があり、応募したところ採用され17歳を迎えたあたりで初めての仕事をしだしました。

その当時の体重は、50kgほどでした。

そして、初めての仕事をしながら自動車学校に通いました(その間にも色々ありましたが、また後日)

そんな私でも19歳の頃、新しい彼氏と付き合って5ヶ月で計画的妊娠をしました。

翌年、20歳を迎える3ヶ月ほど前に娘を出産しました。

妊娠当時は、体重が50kgでしたが臨月の頃には64kgまで体重が増え、出産後でも58kg~56kgほどでした。


そして、姉には私の人生は波乱万丈過ぎると言われ
る程の事が立て続けに起こりました。


月日が流れ、昨年の今頃に激太りし妊娠もしていないのに人生で最大の75kgまで太りお洋服のサイズは4Lでした。



しかし、その後色々な事が積み重なり、昨年の春頃には65kgになった頃、とある人間関係がきっかけで措置入院になり精神科に約2ヶ月入院していました。

そして退院したのが昨年の7月3日で、1ヶ月後の8月2日に父が倒れました。

そのあたりから、少しずつ体重が落ちていきました。


先ほど、寝る前のお薬を服用しましたので、今日はここまでにしますね。

読んでくださり、ありがとうございました。

mashiro ADHDと鬱と拒食症

はじめまして、こんにちは。

 

今日からこちらでブログを書く事にしました、ハンドルネームmashiroです。

 

私のブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

自己紹介します。

ハンドルネーム…mashiro

○年齢…36歳 ○…16歳の娘がいます。

バツ2(2度目の主人とは内縁)

○主治医…認知症専門の精神科病院の院長

○診断されている疾患(2月22日現在)

ADHD(注意欠陥多動性障害  発達障害)

双極性障害

パニック障害

うつ状態

○軽度知的障害(IQ76)

摂食障害

 

甲状腺異常の結果待ち(2/27に結果)

○服用しているお薬

・朝…コンサータ18mgを4錠 ストラテラ1カプセル コントミン1錠 デパス0,5mg 1錠 ラミクタール2錠 ジェイゾロフト2錠 トラムセット1錠 マグミット1錠 高血圧のお薬 1錠

○昼…ストラテラ1カプセル コントミン1錠

デパス0,5mg1錠

トラムセット1錠 マグミット1錠

○夕方…ストラテラ1カプセル デパス0,5mg1錠 ラミクタール2錠 ジェイゾロフト2錠 トラムセット1錠 マグミット1錠

○寝る前…サイレース2mg コントミン6錠 レンドルミン2錠 マイスリー1錠 ユーロジン1錠

 

このブログを書こうと思ったきっかけは、自分自身の心の整理を活字にしたいと思い始める事にしました。

 

昨年の8月に、離れて(50km程)暮らしている父が倒れたと父と一緒に暮らしている姉から電話があり急いで実家に帰りましたが、父と姉と娘は総合病院の処置室にいるとの事で、私は総合病院へ向かいました。

 

父は、脱水症状からくる熱中症を起こしており点滴を受けていました。

 

歩く事すら出来ず、父は入院を希望したのですが総合病院の処置室にいた先生が今日のところは帰ってみましょう、と言われ

「この状態で帰宅?!」と思いながらも、姉の車で帰宅し、途中でトイレしたいと父が言うので、姉がおんぶをしてトイレに連れて行きました。

 

しかし、歩けない、ズボンを下ろす事が出来ないので私が父のズボンを下ろしトイレが終わるのを待っていました。

 

その後、再び姉がおんぶをして車に乗せて自宅に帰宅し冷房がきいた部屋で姉と父と自分の3人で寝ていましたが夜中に父がトイレに行きたくなったようでしたが歩く事ができないので姉と一緒に紙おむつにしました。

 

次に続きます。